火曜日の密事
秋、胸を突き抜けていく澄み渡った青い空の下、まだ正午を回っていない三限目、 グラウンドでは体育の授業でサッカーをしている生徒たちが何事か言い合いながら熱心に駆け回っていた。
グラウンドに面した校舎の二階の左端の窓に、白いカーテンの向こうで二つの影が重なるように薄らと浮かんでいた。 他に誰もいない教室の黒板側の窓際の隅で、薄手の白いカーテンと黒色の遮光カーテンに挟まれて身を隠していた洋平と花道は、 身を寄せあって立っていた。花道は壁に背中を凭れ、脚を開いて膝を曲げ頭を洋平の右肩に乗せて掴むように彼の背中に腕を回している。 折り曲がった花道の脚の間に洋平は立ち、やや前傾の姿勢を保つ。曲げた右腕は身体を密着させた二人の唯一の空間である腹部に置いてあった。
陽の差し込む窓際は秋になってもまだ汗ばむほどには暑いが、冷気の含んだ風が湿った肌に触れて涼しい。だがしかしそれでは物足りぬほど、花道の身体は熱く火照っていた。
洋平が右手を上下に動かす度、花道の口からはくぐもった声が漏れ出た。吐息とともに漏れ出る、掠れた、切なそうな、やや上擦った声。 洋平の右手は、前が開かれたズボンの隙間から露出した己の竿と花道のを合わせて擦り上げていた。 花道の肉棒の先端から出た透明な汁が裏筋を伝って洋平の亀頭に垂れる。
「くぅっ、う、ふぅ……」
次第に子犬のようにか細く上げていた声は途切れ途切れになり、背中に回した手の指を曲げて洋平のシャツを強く掴んだ。腕に生えた産毛が洋平の首筋を擽る。
「うーっ……、んん、ん、う、う」
洋平は花道の耳元で低く囁いた。
「花道、イクなら言えよ」
洋平の言に花道は従順に発した。
「いっ、イク、イクっ……」
うわ言の如く繰り返し、鼻面を彼のシャツの襟に擦り付けて目を強く瞑り、花道は洋平の手に包まれて達した。
毎週火曜日、洋平と花道はこの教室で密事を行っていた。
洋平が見つけたそこは、普段は移動教室として主に化学の時間に使われている室だった。 どうやら毎週火曜日の一限目と四限目に三年生が使っているらしい。担当教員の怠慢か、 不用心にも授業が終わった後でも施錠されていないこの部屋は二三限目の間は好きに使えた。 ただ二人だけになりたくて、授業に出席せず、花道を連れて洋平はいつも行っている屋上ではなくその教室に忍び込んだ。 薄暗く独特な癖のある匂いがまるで隠れ家のように思えて、花道もすぐに気に入った。
初めは軽い口付けだった。窓辺に寄りかかり談笑をしていた。くだらない話で静かに笑い合い、 潮が引くように会話が絶えて沈黙が二人を包んだ。笑みは顔に薄らと残り、微かに上がった口角で洋平は花道の唇を見つめた。 おもむろに彼は一歩、花道ににじり寄った。付き合ってから数週間、手を繋ぐことのみが二人の交わされる肉体的な接触で、 辛抱強い洋平も、そろそろ次の段階に移ろうとじっと機を狙っていたのだ。花道は退くことも身を強ばらせることもなく、変わらず視線は彼を捉え続けていた。
つま先立ち、首に腕を回して花道に顔を近づける。花道も物言わず背を曲げて顔を寄せた。 ひょっとこの如く唇を尖らせた花道に柔らかく笑って、洋平は己の唇を当てる。幾度か軽く押し当てるだけの口付けを交わしたあと、 もうおちょぼ口ではなくなった花道の、薄く開いた唇の隙間に出し抜けに舌を差し込んだ。 今まで味わったことのない得体の知れない感触に瞠目した花道の目を見つめ、舌先で彼の歯列をなぞる。 花道はわけも分からぬまま、おずおずと口を開けた。洋平は更に奥へと舌を潜り込ませると、 少し引っ込んだ花道の舌に触れたのを感じた瞬間絡みついた。驚きで花道の喉からやや素っ頓狂な音が鳴った。 構わず舌に絡みつき、上顎を撫で、唇に吸いつく。洋平からは見えなかったが、次第に花道の目は熱を出したように蕩けて、いつもの威圧的な表情はすっかり崩れていた。
洋平は腕を引き寄せた。地に踵をつけて、坊主頭の頃よりいくらか伸びた花道の髪を掻き回すように撫でた。 撫でられ慣れていない花道は脳内に溢れ出る甘い快楽に鼻から深く息を吐いて、強く洋平を抱いて腰を彼の腹に押し付けた。
瞬間何か芯のある硬さを腹に感じて、洋平は口を離した。赤ら顔でやや浅く息をする花道の下腹部を見つめる。 臍の真下、ズボンのファスナーがある部分が突っ張って窓から差し込む陽射しで小山のような影を作っていた。
「抜いていいぜ」 膨らみを見つめながら洋平は優しく、しかしどこか挑発的に誘うように言った。
「抜くって……?」 口の端から垂れた唾液を拭って、花道は返した。
「だから、ソレ、オナニーすればいいじゃん」
洋平の言葉に花道は眉を寄せ小首を傾げた。洋平も信じられないものを見るような目付きで顔を顰めた。
驚いたことに花道は生まれて一度も自慰行為をしたことがなかった。好きな子と一緒に登下校をするという、 その歳の不良にしては余りにも純な夢を持っていた彼に洋平も今更大きな衝撃は受けなかったが、しかし今こうしてはっきりとそれを知ると、些か面食らうものがあった。
ムラムラした時どうしてんだよ。小中学生の時エロ本とか河川敷で拾わなかったのかよ? ビデオショップのアダルトコーナーの暖簾の隙間を覗き見たことは?
純粋な好奇心から率直な疑問をぶつける洋平に、花道はやや恥じらいつつも断固として、別にどうもしない。 そんな破廉恥な本は見つけても読まないし、暖簾だって覗こうとも思わないと答えた。これには洋平も、思わず後退りをした。なんと類い稀な自制心を持った青年か。これには全国のPTAも諸手を挙げて彼を賞賛するだろう。それ以外のありとあらゆる悪行に目を瞑れば。
洋平は濡れた口を拭って、しばらく考えあぐねた後、 「次からは自分独りでやるんだぞ」 と言うと花道のズボンのファスナーに手をやった。 花道は肩を痙攣させ、口から小さく声を漏らしたが、しかしそれ以降は何も言わなかった。
洋平は花道に自慰行為を教えた。知らないほうが却って不健全だと彼の今後を案じた気持ちがあったからだ。 しかし、その手ほどきを通して彼に触れたいという不純な動機も確かにあった。
終いまで花道は初めての行為に狼狽えこそすれ拒みはしなかった。未知の領域に足を踏み入れているのに、 手を引く相手が洋平だからと全てを受け入れているようですらあった。彼もまた、洋平に触れられることを心のどこかで望んでいたからかもしれない。
ただ唇を押し付けるだけしか知らなかった花道が、口を重ねて舌を絡ませる。すっかりキスの仕方を覚えた彼に、 洋平は満足感と僅かな背徳感を抱いた。誰かに見られるかもしれないという不安感がより二人の気持ちを高揚させ、些細な物音に敏感に身を反応させた。
初めてから二度目の時、自分独りでやれと言われたはずだが、花道は己が熱く滾るソレに自らは手をやらず、じっと洋平の目を見つめた。 最早そこに言葉は必要なく、洋平も花道を見つめ返すと自らのベルトに手をかけた。 「……オレも抜きたい、一緒にしていい?」 と金属音を立ててベルトを抜き取る。開いたファスナーから覗く、 布越しに分かるほど膨らんだソレを食い入るように見つめ、花道はゆっくりと頷いた。
そうして毎週火曜日になると、彼らはこの空き教室で密事を重ねていた。七日間で一度だけの行為は、 若く旺盛な彼らには心急くほどに待ち遠しく、その日が来るまで何度も反芻し、そして当日になれば平静を装いつつも素早い足取りであの教室に向かい耽溺として快楽を貪っていた。
「あ、あっ……はあっ」
洋平の指が雁首を擦る度、花道の口からは鼻にかかった声が漏れ出た。対して洋平はなるべく声を押し殺し、 呼吸すらもが己の耳に入る雑音とならないように努めていた。先程花道が出した精液が潤滑油の代わりとなってより滑らかに陰茎を扱く。 吐息と粘着質な水音が脳内で反響する。
花道はシャツに色が移りそうなほどに頭を押し付けた。呼吸とともに、吐き出すように、 しゃくり上げるように掠れた声を漏らす花道を見られないことに洋平は口惜しく思ったが、 しかし耳に入り込む蠱惑的なほどに己を魅了する甘い声と片胸に感じる吐息と背中に張り付いた掌の熱、 そして上下に忙しく動かせた手に包まれたモノの痺れる快感に満足していた。
花道も快楽を求めて、半ば無意識に腰を揺らして洋平の肉棒と掌に擦り付けた。 腰に電流が流れたような快感に洋平は堪らず抑えていた声を吐いた。夢中で手を激しく動かせて終着点へと駆ける。
「くっ、うっ、ア、あっ……」
そろそろ限界を迎えそうな花道に、洋平は囁いた。
「花道、イク時呼んで、オレの名前呼んで」
花道は言われるがままに彼の名を口にした。
「んっ、イク、あっ、ようへ、洋平……!」
「はなっ、ア……っ」
大きく肩を震わせ、花道は洋平の手の中で果てた。同時刻に洋平も熱を吐き出すが、 その寸前に素早く左手を伸ばして予め窓枠に置いておいた、いつぞやに駅で貰ったポケットティッシュから一二枚紙を抜き取って亀頭に添え当てるがしかし、 それよりも速く吐精したどちらのとも分からぬ精液が花道のシャツに付着した。
花道は息を深く吐いて、脱力した手を洋平の背中から滑り落とした。洋平は黙してゆっくりと根元から先端へと扱いて絞り出し、 ティッシュで残らず拭い取った。次いでまたポケットティッシュから紙を抜くと自分の濡れた手と彼のシャツに付着した精液を拡がらないように細心の注意で以て拭いた。
花道から身を離し、下着を引き上げて身なりを整えながら洋平は花道のシャツの裾を顎で指した。
「それ、すぐに水で洗わないと染みになるぜ」
眠っているように目を閉じて穏やかな呼吸を繰り返し、未だ熱の引かぬ紅潮した頬で黙したままの花道をそのままに、 達したあと特有の気怠さを引き摺り、丸まったティッシュを握って洋平は緩慢な動きで遮光カーテンを捲ると、扉の方に歩もうと足を踏み出した。
「待てよ」 花道が後ろから声をかけた。洋平は立ち止まって振り返った。
「ん?」
「ほかに、ないのか」 伏し目がちに尋ねる花道に洋平は聞き返す。
「なにが?」
「コイビトがすること、他にあるんだろ……」
視線を上げて洋平を見つめるその目は彼の瞳の奥を射抜くような力があった。現に洋平は一瞬その瞳に捕らわれ、身体を硬直させた。
伊達に十五年も生きてはいない。あらゆる媒体が一様に目を引かせようと過度に扇情的にされ、 性を連想するものや直接的なものが氾濫するこの世の中で生活をしていると、たとえその知識が蒸気のように朧気で実態を掴めていないとしても、 否が応でも脳内に入り込むのだ。純粋で無知であればより強く脳裏にこびり付く。話の種がなければすぐに猥談に移るような友人たちと交じっていれば尚更に。
睨めつけるように鋭い目つきの奥で、抑えきれない好奇心と確かな熱情が入り交じった瞳が揺れる。 自分たちのような者同士が為す行いは全く何も知らないが、きっと、まだできることがある。それをこの男は知っている。花道は確信を以て洋平を見つめていた。
洋平は目を細めて、一瞬間立ち込めた緊迫した空気を吹き飛ばすように、微笑みを漏らした。
「ああ、あるよ。でもそれ、時間がかかるし、お前にも色々としてもらわなきゃいけないからなぁ」
勿体ぶるようにゆっくりと話す彼は背を丸め、整えた髪型を崩さないように左手で撫で付けながら続けた。
「……だから、やるならお前の家じゃないとね」
三日月のように細めたなだらかな目で花道の顔を覗く。花道は、何を逡巡させていたのか、暫時口をハクハクと動かせたあと、やや詰まらせがちに、呟くように言葉を発した。
「再来週の日曜、部活無い……」
洋平は姿勢を戻し、花道に向き直った。不安げに僅かに眉を寄せて自分を見る花道に、齢には似合わぬほどの大人びた表情で洋平は口を開いた。
「……そう。じゃあ、土曜日の夜泊まりに行くよ」
背を向けて再び扉の方へと歩みを進める。今度は花道も洋平の後を追った。
扉の横に設置されたゴミ箱に紙を捨てると扉の引手に指をかけて横に動かす。開けた瞬間に通り抜けていく、ひやりと冷たい空気の流れを感じながら静かに扉を閉め、二人は教室を出た。
空き教室には熱気だけが、窓際で朧に漂っていた。